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境橋


 境橋は、主要地方道常陸太田那須烏山線の那珂川の渓谷に架けられた橋長112.5mの上路式RCオープンスパンドレル(開腹=間隙のある側壁)アーチ橋で、アーチ橋はシルエットそのものが意匠性に優れているといわれている。
 現在の橋は、昭和12年に竣工した3代目の橋で、初代の橋は明治30年に舟を横に並べて板を置いただけの舟橋、2代目は大正9年に洋式木橋(洋式を模倣したトラスの木橋)が架けられていた。
 現橋の設計者は、関東大震災後の帝都復興局橋梁課長として隅田川橋梁群の設計など、百数十橋を手がけた橋梁設計の第一人者・成瀬勝武で、「戦前土木名著100書」に数えられる成瀬勝武の著書「彈性橋梁」では、境橋の設計計算書が31ページにわたり紹介されている。

 
旧烏山病院(現烏山和紙会館)


 旧烏山病院は、大橋清吉を発起人代表とする地元の実業家数名が、当時の金額にして6万円の資金を募り、株式会社烏山病院として大正12年に開業された。
 3棟の病棟が連なった当時の概観は、明治40年代から昭和戦前期にかけて活躍した絵師 松井天山の「栃木縣烏山真景」にも描かれている。
 現在は、地元の伝統工芸品・烏山和紙を展示・販売する烏山和紙会館として再生されている。なお、烏山和紙を代表とする程村紙は、昭和45年3月に烏山町重要無形文化財に、そして昭和52年6月に国の無形文化財にも選定されている。
 建物の構造は、木骨モルタル造二階建て、切妻屋根の擬洋風建築物である。
 特徴は、縦長の上げ下げ窓や半円形のドーマー窓など、大正後期から昭和初期に流行した新しい芸術思潮であるドイツ表現派建築の影響が見られる。また、重要な玄関ポーチやその上部に左右対称に描かれた10個の連円が重なる白塗りの鏝絵(こてえ)、さらに換気口のディテールなど、豊かなデザイン性も感じられる。
 江戸期以降の木造家屋が多く残る町並みの中に建てられた擬洋風建築物は、新しい時代の予感を誘ったものと思われる。時代の要請に対応した近代的設備を備えた病院建築物から、地元の伝統技術を象徴とする産業会館へ。旧烏山病院の重厚にして優美な造形は、懐かしい甘美な香気とともに、近代建築の精華が息づいている。

 
東京動力機械製造㈱地下工場跡(㈱島崎酒造地下低温貯蔵庫)


 このどうくつは、第2次世界大戦末期に戦車を製造するために建造された地下工場跡である。
 昭和19年11月に東京動力機械製造㈱の疎開が決まり、山裾に半地下式工場が建造され、隣接してこの地下工場も造られた。半地下式工場では、終戦までに約20台の戦車が製造されたと言われている。しかし、この地下工場では戦車を製造することなく終戦を迎えている。
 地下工場は、高さ幅ともに3.5mの3本の坑道とそれを結ぶ5本の横坑で構成され、総延長は600mである。
 地下工場跡は、酒蔵として使用され、さらに地域のイベントなどにも活用されている。
 この施設は、風化しつつある戦争の記憶を無言で語り継ぐ貴重な平和の語り部であり、後世に伝えていくべき遺産である。また、地域文化の発信・文化交流施設として貴重な地域資源ともいえる。


 
烏山通運㈱石造り倉庫群


 JR烏山線の烏山駅前に重厚なたたずまいをみせる石造り倉庫が3棟併設されている。これらの倉庫群は栃木県特産の石材である大谷石造りであり、建造年は昭和14年に2棟、昭和15年に1棟造られた。
 烏山通運の創設者は、新井萬吉であり、明治30年以降運送業・通運業を開業、また大正10年には、烏宝通運株式会社(内国通運会社取引店)を創設している。
 大正12年に国鉄烏山線が開通した後、宝積寺・馬頭など近隣の通運会社を統合して現在に至っている。
 また、新井家は、明治5年に郵便取扱所を開設した二代目阿久津幸平から事業を引き継ぎ、明治25年に郵便局を開業するなど、言わば近代以降における当地方の輸送業務を一手に担ってきたことになる。
 建造当初の入口は欠円アーチである。高さ197㎝・幅182㎝・ライズ62㎝、面積は198.34㎡である。当時は、物資の搬入に大八車が使用されていたので、この大きさでも十分だったものと思われる。現在はフォークリフトが出入りできるように新しい入口に代えられており、欠円アーチの入口は使われていない。
 また、建物の正面・側面・背面には多数のバットレスが設置されており、その景観は圧巻である。
 近代化の象徴としての鉄道の開通とそれに伴う駅前における石造り倉庫群の建造。重厚かつ端正な倉庫群は地域産業を支えてきた拠点施設として当時の風情を今に伝えるとともに、現在も倉庫としての機能を継承している。

 
烏山防空監視哨


 昭和16年12月17日「防空監視隊令」(勅令1136号)の施行を受け、栃木県では、「栃木県防空計画」が定められた。
 この栃木県防空計画では、防空監視隊本部が宇都宮・大田原・佐野の3か所に設置された。
 哨員は、隊長1・副隊長3・隊員24名で構成されており、8人3班に分けられ、3日交代で勤務していた。
 烏山では、この計画も基に「烏山町防空基本計画」が定められ、監視哨は、はじめ毘沙門山頂に設営(舎上)されたが、その後、筑紫山山頂にコンクリート製が設営された。外径4.25m・内径2.76mおよび高さ1.5mである。
 このような軍事遺産は、風化しつつある戦争の記憶を今に伝え、「平和の語り部」として後世に伝えていくべき貴重な遺産として位置づけけられている。

 
森田トンネル


 森田トンネルは、烏山線の滝駅と小塙(こばな)駅間、宝積寺駅から16.58km(起点)、16.94km(終点)に位置する総延長356.31mのトンネルである。
 構造型式は、コンクリート造、ポータルは馬蹄形(ばていけい)甲型という断面で、全体的に狭い断面形状である。最大幅は4.5m、レール面上の高さ4.6m、覆工厚0.48mで、トンネル内の勾配は25パーミル(‰)である。
 この25‰とは、水平距離1,000mに対して高さが25mの勾配である。
 「烏山線建設工事概要」によると、使用セメント量は約1,230klであることが記されている。