烏山城は、町の中心より北西に位置する八高山(206m) に築かれた山城で、山の形が牛の寝ている姿に似ているこ とから、別名臥牛城-がぎゅうじょう-とも呼ばれていま す。古記録、系譜等によりますと、沢村五郎資重-さわむら ごろうすけしげ-(下那須氏)が兄の那須資之-なすすけ ゆき-(上那須氏)と不仲となり、本拠の城を追われ稲積城 に移り、応永-おうえい-25年(1418)に現在の地に城を築 き新たな拠点としたのが始まりとされています。 以後、下那須氏の本拠となり、永正-えいしょう-13年 (1516)の上下那須氏の統一から天正-てんしょう-18年 (1590)那須氏の改易まで那須宗家の居城となりました。 その後、織田・成田・松下・堀・板倉・那須・永井・幕府 代官・稲垣氏と短期間のうちに城主が交替しましたが、享 保-きょうほう-10年(1725)大久保常春-おおくぼつねは る-入封の後は、大久保氏が8代140余年にわたり城主とな り、明治-めいじ-2年(1869)の版籍奉還-はんせきほうか ん-とともに廃城となりました。 城域は、東西約370m、南北約510m、面積約88haに及ぶ 広大なもので、五城三郭とよばれる主要部分からなり、防 御施設として空堀・竪堀・堀切り・土塁等が設けられ、本 丸周辺には石垣も築かれています。また、万治-まんじ-2 年(1658)時の城主堀親昌-ほりちかまさ-により城の東山 麓に新たな居館(三の丸)が築かれ、以後、城主の居住地 はそちらに移ることとなりました。 現在、城跡は杉林に覆われていますが、空堀・土塁・石 垣などの各遺構が良好な状態で現存し、また、八雲神社北 側から毘沙門山・城山に至る遊歩道が整備されていますの で、城跡を見学しながら周辺を散策することもできます。 (約1時間程度) 交通:JR烏山線烏山駅下車…徒歩15分(車5分) ※城跡の麓まで |