延暦22(803)年に、坂上田村麻呂が創建したと伝わる古希。境内には川口松太郎の小説「蛇姫様」のモデルとなった「おしか姫」のものとされる墓がある。春のカタクリや秋の紅葉が美しい!
太平寺は延暦-えんりゃく-22年(803)坂上田村麻呂-さかのうえのたむらまろ-が蝦夷(えぞ)討伐のおり、大願成就を祈願し千手観音菩薩を安置し、堂宇を建立したのが始まりとされ、嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁-じかくだいしえんにん-により滝尾山正眼院太平寺が開基されたといわれています。 その後、当地を支配していた那須氏の庇護のもと、度々堂宇の修理が行われ、天正-てんしょう-18年(1590)那須氏改易の後も歴代城主の信仰が厚く、特に享保-きょうほう-10年(1725)大久保常春が烏山へ転封の後は、観音堂の大改修が行われ大久保家の菩提所となりました。 現在、本寺には多数の文化財が残されており、春はカタクリの花の群生、初夏は新緑を、秋は紅葉が楽しめ、四季を通じて県の内外より多くの参拝者が訪れています。
蛇姫様のモデル…太平寺には大久保家や重臣の関係者のみが埋葬を許される特殊墓域が設けられていました。その中に大久保忠胤-おおくぼただたね-(2代藩主)の四女「於志賀姫-おしかひめ-」の墓といわれる墓地も残されています。この於志賀姫が川口松太郎-かわぐちまつたろう-の小説「蛇姫様」のモデルとなった人物の一人といわれています。
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